釧路公立大学

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令和5年度釧路公立大学学位記授与式 学長告辞

令和5年度釧路公立大学学位記授与式 学長告辞

学長告辞の様子

学長告辞の様子


 2024年(令和6年)3月22日、本学アトリウムを会場に「令和5年度釧路公立大学学位記授与式」が執り行われました。以下、学長の告辞文を掲載いたします。
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 卒業、おめでとうございます。釧路公立大学の教職員を代表して、心からお祝いを、申し上げます。また、この日に至るまで、長い年月にわたって、皆さんの成長を支えてこられた、ご家族と関係者の皆様にも、心から敬意と感謝の意を表します。
 皆さんとのお別れに際して、皆さんと一緒に、4年間やってきて、私が皆さんに感じた可能性、そして、大学の可能性について、お話してみたいと思います。
 さて、新型コロナのパンディミックで始まった、皆さんの4年間は、世界も激動の4年間でした。紛争が絶えない地域がある一方で、先進国では、移民問題を抱えつつ、社会の衰退が急激に進行しているようです。日本でも、理解を超えた事件の続出は、社会の衰退を象徴する事件と、言ってもよいでしょう。これからどうなっていくのか、見通しの立たない混沌とした時代に入ったと言われます。
 歴史を振り返れば、大戦後の福祉国家の時代を経て、1980年代以降は、レーガノミクスやサッチャーリズムに代表される、新自由主義とグローバリゼーションの時代に移行してきました。これによって、社会主義圏が崩壊に至っただけでなく、当のアメリカを初めとした自由主義圏では、国内に分断をもたらしてしまったようです。平等から自由に振れた時代のリズムは、これから、どこに向かって、振れることになるのか、平等はどのように再建することが可能なのか、コミュニティはどのような単位で、再建することが可能なのか、模索が続いている状況ではないかと思います。
 皆さんが4年間、学生生活を送った釧路は、町自体は、水産と製紙の都市でしたが、後背地は全国有数の酪農地帯でもあり、釧路湿原を初め、世界に誇る湿原と湖沼群を有した自然環境に恵まれた地域です。漁業と酪農を結ぶ結節点に、釧路は位置しています。都市でもあり、農村をも包摂した、開かれた町です。都市経営と農村経営を融合させた、地域経営の可能性を秘めた都市といってよいでしょう。それは、デジタル田園都市というよりは、半世紀前に提唱された、田園都市構想を実現する道ではないかと思うのです。農村社会をどのように維持し、あるいは再建していくかが、そして都市のコミュニティを、どう再建していくかが、時代の要請に応えることになっているのではないかと思います。混沌の先に何を見据えるか、その構想力が求められています。その構想力を担う人材の育成が、求められていると思います。
 昨年末に、ある演習の学生が、鶴居村の「ある事業」に参加し、学生目線で、鶴居村の良いところを発見する作業を行った報告を聞きました。その内容は別にして、その企画への参加を通じて、鶴居村が第二のふる里になったという学生の感想を聞いて、地域に直接“ふれる”ことの大きな影響力を、あらためて認識させられました。そこでは、学生が客観的な認識者ではなく、共感する主体になっていると言ってよいでしょう。大学は、都市にある訳ですが、都市と農村の媒介役となることが出来るし、また期待されているのではないかと思うのです。そのような示唆を与えてくれた皆さんに、感謝したいと思います。
 さて、もう一つお話したいことは、私が、皆さんが入学した時に、述べたことでもあります。その時、日本の社会は、自由と平等を、社会の基本的原理とする、先進社会でありながら、アメリカやヨーロッパの国々と異なっている点は、上下の関係というより、身分的な関係と言っても良い師弟関係が、働く場である職場の中にも存在しており、これが、日本社会の特徴、つまり強みと弱みになってきたと述べました。
 この根底にあるものを取り出せば、教育は相互的な営みであって初めて、有効ではないかということです。職場の先輩も、大学の教員も、皆さんに先行する人間として、つまり先生として、専門知識を教える立場にあるわけですが、教えることを通じて、教える側も理解を深め、また、人間としての成長を、遂げているのではないかと思います。そうした相互性が、教えることの基本にあるように思うのです。
 この4年間、学長という管理職にありながら、教育にも打ち込んだ4年間でした。学生が、熱心に交わす議論に引き込まれたり、その発言の中に、新しい世代の感性を感じとったり、一緒に調査に出て、漁村に存在する慣習の中に結晶した、共同で生きる人たちの知恵と工夫に感嘆したりと、学ぶことの多い4年間でした。
 皆さんも、演習の先生だけでなく、先輩や後輩という重層的な関係の中で、同じような経験をしたのではないかと思います。教えると教わる、の相互的な行為の中に、つながる、という関係の中にあることから、自己を支える社会的なものが、創造されるのではないかと思います。
 皆さんの学び、そして社会の中での学びの伝統を振り返ってみて、気が付くのは、ある哲学者が注目した“ふれる”という言葉の本質的な意味です。五感を示す言葉の中で、“ふれる”という言葉は、見るや聴くとは違って、主語と述語を入れ替えることができる、特異な日本語として知られています。それは、主語と述語、主体と客体の区別が、曖昧なままの状態において、生起する体験だというのです。“ふれる”という体験には、少なくとも、共感が伴っているということでしょう。地域に“ふれて”、第二のふる里を発見し、大学の中で様々な人や知識に“ふれて”、自分が変化する。このように、単に、知識が増えるのではなく、自己を変えるような知識を得ることには、対象への共感が必要でしょう。
 春は曙、冬はつとめて、と言いますが、釧路の冬の朝は格別です。肌を刺すような凜とした空気の中、何度も大学に通ったことでしょう。時には、ダイヤモンドダストに遭遇して、感嘆の声をあげ、また、朝日を浴びて光り輝く霧氷に、目を奪われたこともあったのではないかと思います。感覚の基礎にある“ふれる”能力を呼び覚ます、人工的ではない、自然に満ちた環境で、生を刻んだ4年間は、皆さんにとって掛け替えのない時、ではなかったかと思います。私も、皆さんと一緒にこの3月に、この学舎を去りますが、楽しい4年間でした。皆さんの可能性と、大学の可能性を実感した4年間でした。皆さんへの感謝と、これからのご活躍を祈念して、告辞にしたいと思います。
 
2024年(令和6年)3月22日
釧路公立大学 学長 小路行彦
 

 

最終更新日:2024年03月23日